2011年3月5日土曜日

宇宙の似姿としての種子

「宇宙の似姿としての種子」

 R・シュタイナーは種子は宇宙の似姿であるという。

種として形成されたものが、親植物ないし親植物からその子供である植物ないしは動物の中に単に受け継がれていくという形では、生体は決して「種から生じてくる」のではありません。そういう考え方は全く誤っているのです。むしろこのような複雑な構造が極端にまで押しすすめられますと、それは崩壊するというのが正しいのです。そして地上の領域で最高の複雑さにまでもたらされたものの中には、結局のところ小規模な混沌世界ができます。このように最高の複雑さに到達したものは崩壊して、言うなれば宇宙の塵となるのです。そして、このように種が最高の複雑さに達し宇宙の塵となって崩壊し、そこに小規模な混沌世界が生じた時、周囲を取りまいている宇宙の総体がこの種に向かって働きかけ始め、その種の中に自分の似姿を刻印し、あらゆる方向から宇宙の作用がやってきてこの種子の中に形成されるものを、この小さな混沌世界から作り出すのです。このようにして、種子の中に我々が持っているのは、宇宙の似姿なのです。(『農業講座』、p62)

 種子は宇宙の似姿であるという。種子の崩壊と混沌、その再生という表現は宇宙の縮図であり、人間存在の生と死の姿を現すものである。それは種子が植物の単なる生長の経験的周期性を現すためではなく、そこに宇宙の生成の原理が現れるためである。
 「宇宙的諸力」と「地球的諸力」という二つの根源的な力は、地球上のあらゆる形態の根源的な形成力である。『農業講座』という宗教的世界において、この二つの力があらゆる有機的形態を律している。「宇宙的諸力」とは、種子という農耕における始源的形態の外側から働きかけるマクロコスモスの総体であり、それはそれぞれの種の形態、生長の過程を方向づける力である。「地球的諸力」とはそれを受け、かつ、形態を形態として、生長を生長として発現させる力であり、象徴である。この二つの力は『農業講座』において、絶えず対置し、混交して現れ、表現される宗教的事実として示されている。
 種子はそれ故に単に種子であるだけではなく、宇宙とその周期的生長の神秘として、そのマクロコスモスを内在させる、ミクロコスモスであり、再生という照応の原理の中心的象徴である。それは種子と宇宙という関係においてそうであると同時に、農場と宇宙、人間と宇宙という関係にも同様に比定される。

 農場、つまり植物をはじめ動物、鉱物、人間あらゆる有機的形態の生成の場、相互作用の場の構造をさらに見てみれば、その再生の原理としての照応関係は、ひとつの逆説的な存在論として考えることができる。
 R・シュタイナーによれば、農場は「一つの逆立ちしている個体」であり、「人間が逆立ちしているような状態」であり、「農場という個体が、逆さまに立っている」という。
 大地は人間の呼吸活動を象徴する横隔膜に比定され、「宇宙的・地球的」な二つの力を絶えず循環せる「自然生成の存在する場」である。地中と地表はその二つの力の空間としての象徴であり、力は単に循環するのみではなく、空間として農場を形成する。地表においては、大地、地中に導き込まれた「宇宙的諸力」が上昇し現れ、それはあらゆる地表の、つまり知覚可能な形態に「全宇宙の刻印」を与えるという。地表は人間の腹部であり、それは知覚可能な、ひとつの消化活動にたとえられる活動の場である。一方、地中は人間の頭部であり、種子を受け入れ、その形態を発現させる根源的な全体性を象徴している。何故なら大地は、種子という形態をも包み隠し、その混沌において新しい生命としての「宇宙的諸力」を受胎させるからである。人間の頭部は「自我」の象徴である。
 大地や空気中においては「宇宙的・地球的諸力」を媒介するのは様々な鉱物的存在である。鉱物もまた、宇宙の生成に関する限り「生きて」いるのであり、その聖性を分有しているのである。

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